NHKラジオ英語番組『エンジョイ・シンプル・イングリッシュ』
2024年8月21日(水)放送分
世界に誇るメイド・イン・ジャパン
「Automatic Rice Cookers -自動式電気釜-」
全文和訳してみました。
英語学習の参考にしてくださっている方もおられますので、訳し方が異なる2パターンで日本語訳をしました。
- スラッシュリーディング訳
英文を前から訳す
意味はほぼ直訳
テキスト巻末のWord Listの訳を使用しています - 自然な日本語訳
英文を後ろから訳す(返り読み)
意訳を含み日本語らしい文章
森崎ウィンさんのオープニングとエンディングトークも、書き起こししています。
お役に立てれば幸いです。
テキストには英文スクリプトのみ掲載されています。
オープニング 森崎ウィンさんのトーク
Enjoy Simple English.
森崎ウィンです。
毎週水曜日は「Japan’s Top Inventions」
今日の発明は「Automatic Rice Cookers」
かつては火を起こし、釜戸で炊いていたお米。
そこに、ある町工場の経営者とその家族が開発した「自動式電気釜」が登場します。
早速、聞いてみましょう。
Automatic Rice Cookers -自動式電気釜-
訳し方が異なる2パターンの和訳をしています。
- 放送を聞きながら英語の語順で意味を取りたい場合
→ スラッシュリーディング訳をご覧ください - 物語の全体的内容を理解したい場合
→ 自然な日本語訳バージョンをご覧ください
スラッシュリーディング訳バージョン
英文を前から訳し、意味はほぼ直訳です。
放送を聞きながらや、テキストの英文を読みながら意味が取れるようになっています。
和訳だけを読むと不自然に感じられる部分がありますこと、ご了承くださいませ。
自動炊飯器があれば、誰でも作ることができます / おいしいご飯を / 簡単に。
今日、私たちは見ます / 物語を / ある男性とその家族の / 発明した / この便利な調理器具を。
1950年代まで、ご飯は炊かれていました / 大きな鉄釜で。
ご飯を炊いている人は / 座らなければなりませんでした / 薪火のそばに / 約30分間 / 火加減を調整するために。
女性が通常この仕事をしていました / そして / それが彼女たちをとても忙しくさせていました。
いくつかの電子機器企業が試みました / 作ろうと / 自動炊飯器を / しかし / 調節できませんでした / 温度を。
三並 義忠氏は経営者でした / 小さな工場の / 東京にある。
工場(の経営)は上手くいっていませんでした、そのため / 彼は訪問しました / 大手電子機器メーカーを / 何度も / そして / 企業に求めました / 仕事を。
三並氏の三男、親史氏は言います。
「私の父がもどってくるのを止めるために、ある会社が与えました / 彼に / 不可能な仕事を。
それは作ることでした / 自動炊飯器を。」
三並氏と彼の妻、風美子さんは / 仕事に取りかかりました。
三並氏の娘、寛子さんは説明します / 彼女の母親の意欲を。
「彼女(母)は言いました『自動炊飯器があれば、女性たちは持つだろう / もっと多くの自由時間を。』」
三並氏と彼の妻は研究しました / 温度を / 一番おいしいご飯が炊ける。
数ヶ月後、彼らはついに発見しました / その秘密を。
釜の内部は必要がありました / 暖められる / 摂氏100度まで / そして / 保たれなければなりませんでした / その温度で / 20分間。
その後、加熱は必要がありました / 止められる。
彼らは試しました / この方法を / 電子加熱を用いて / しかし / すぐに / 問題に出くわしました。
釜が熱くなりました / 100度以上に / そして / ご飯が焦げました。
どうやって彼らは調節すればいいのでしょうか? / 温度を。
三並氏はすぐにひらめきました / コップ1杯の水から。
彼の四男、愛司氏は言います。
「水は熱くなりません / 100度以上に。」
その釜は2層になり / そして / 水が入れられます / その間に。
20分後、水が完全に乾きます / そして / センサーが止めます / 炊飯器(の電源)を。
三並氏の試作品は動作しました / しかし / まだありました / もう1つ大きな難題が。
愛司氏は言います。
「炊飯器は販売される予定でした / どこでも / 北海道から沖縄まで。
それは機能しなければなりませんでした / きわめて寒く暑い天候で。」
家族は炊飯器をテストしました / 寒い場所と暑い場所で。
ある雪の日、風美子さんがテストをしているとき / 外で、彼女は開けました / 炊飯器を / そして / 見ました / ご飯に十分火が通されていないことを。
熱を保つために、三並氏は考えました / 追加することを / 三層目を。
1週間後 / 一生懸命な作業と睡眠不足の、彼の三層試作品が完成しました。
三並氏はそれを持って行きました / 巨大な冷凍庫に / 摂氏マイナス10度の。
もしそれが炊飯することができれば / そこで、それは炊飯できるはずです / どこでも。
三並氏は待ちました / 30分間。
彼が開けた時 / 炊飯器を、ご飯は完璧にできていました。
自動炊飯器が販売された後、それは広まりました / 家庭に / 日本中の。
この発明は / 勤勉な家族によって作られた / 生活を楽にしました / 全国の家庭の。
自然な日本語訳バージョン
英文を後ろから訳し(返り読み)、意訳も含み日本語らしい文章にしています。
自動炊飯器があれば、誰でも簡単においしいご飯が炊けます。
今日は、この便利な調理器具を発明したある男性とその家族の物語を、見ていきます。
1950年代まで、ご飯は大きな鉄釜で炊かれていました。ご飯を炊く人は、火加減を調節するために、約30分間、薪火のそばに座っていなければなりませんでした。女性が通常この作業をしていて、それが女性たちをとても忙しくしていました。
いくつかの電子機器企業が自動炊飯器を作ろうと試みましたが、温度調節ができませんでした。
三並 義忠さんは東京の小さな工場の経営者でした。工場の経営は上手くいっていませんでした、そこで、三並さんは大手電子機器メーカーを何度も訪れ、仕事を求めました。
三並さんの三男、親史さんは言います。
「父が戻ってこないよう、ある会社が父に不可能な仕事を与えました。それは自動炊飯器を作ることでした。」
三並さんと妻の風美子さんは、仕事に取りかかりました。
三並さんの娘、寛子さんは母の意欲を説明します。
「母は『自動炊飯器があれば、女性たちはもっと多くの自由な時間が持てる』と言っていました。」
三並さんと妻は、最もおいしいご飯が炊ける温度を研究しました。
数ヶ月後、2人はついにその秘密を発見しました。
釜の内部を摂氏100度まで加熱し、20分間その温度を保ち、その後、加熱を止める必要がありました。
彼らは電子加熱を用いてこの方法を試しましたが、すぐに問題に出くわしました。釜が100度以上に熱くなり、ご飯が焦げてしまったのです。どうやって温度を調節すればいいのでしょうか?
三並さんはすぐに、コップ1杯の水からひらめきました。
四男の愛司さんは言います。
「水は100度以上、熱くなりません。」
釜は二重構造で、2層の間に水を入れます。20分後、水が完全に蒸発すると、センサーが炊飯器(の電源)を切ります。
三並さんの試作品は動作しましたが、まだもう1つ大きな難題がありました。
愛司さんは言います。
「炊飯器は、北海道から沖縄まで、どこでも販売される予定でした。きわめて寒いあるいは暑い気候でも機能しなければなりませんでした。」
家族は、寒い場所と暑い場所で炊飯器をテストしました。
ある雪の日、風美子さんが外でテストをしていたとき、炊飯器を開けると、ご飯に十分火が通っていませんでした。
熱を保つために、三並さんは三層目を追加することを考えました。
1週間、懸命に作業し、ほぼ睡眠も取らず、彼の三層試作品が完成しました。
三並さんは、それを摂氏マイナス10度の巨大な冷凍庫に持って行きました。もしそこで炊ければ、どこでも炊けるはずです。
三並さんは30分間待ちました。
炊飯器を開けると、ご飯は完璧に炊けていました。
自動炊飯器が販売されると、日本中の家庭に広まりました。勤勉な家族によって生み出されたこの発明は、全国の家庭の生活を楽にしました。
参考資料
和訳にあたり「公益社団法人 発明協会」の記事を参考にしました。
開発者の三並 義忠さんが気になる方はこちらもどうぞ。ページトップに論文「発明家三並義忠の生涯」(PDFファイル)があります。
今回は、ストーリーの元となったNHK WORLD JAPANの番組動画はありませんでした。
エンディング 森崎ウィンさんのトーク
おかげさまで、おいしいご飯を食べれております。
いやー、感謝ですね。
この電気炊飯器、もう、いかに大事か。
僕ね、すごく身に染みてますよ。
ミャンマーにいた時もね、日本製の電気炊飯器、使ってたと思います。
それでは、See you tomorrow.