NHKラジオ英語番組『エンジョイ・シンプル・イングリッシュ』
2025年4月16日(水)放送分
アメージング・ストーリー
『Stealing the Mona Lisa』
「モナ・リザ」泥棒
全文和訳してみました。
英語学習の参考にしてくださっている方もおられますので、訳し方が異なる2パターンで日本語訳をしました。
- スラッシュリーディング訳
英文を前から訳す
意味はほぼ直訳
テキスト巻末のWord Listの訳を使用しています - 自然な日本語訳
英文を後ろから訳す(返り読み)
意訳を含み日本語らしい文章
森崎ウィンさんのオープニングとエンディングトークも、書き起こししています。
お役に立てれば幸いです。
テキストには英文スクリプトのみ掲載されています。
オープニング 森崎ウィンさんのトーク
Enjoy Simple English.
森崎ウィンです。
毎週水曜日は2023年度に放送した「Amazing Stories」
世界の各地で起きた驚きの実話をお送りします。
今日は「モナ・リザ泥棒、Stealing the Mona Lisa」です。
あの世界的に有名な絵画が盗まれて大騒ぎ!
一体誰が、そして何のために?
早速聞いてみましょう。
Stealing the Mona Lisa – 「モナ・リザ」泥棒
訳し方が異なる2パターンの和訳をしています。
- 放送を聞きながら英語の語順で意味を取りたい場合
→ スラッシュリーディング訳をご覧ください - 物語の全体的内容を理解したい場合
→ 自然な日本語訳バージョンをご覧ください
スラッシュリーディング訳バージョン
英文を前から訳し、意味はほぼ直訳です。
放送を聞きながらや、テキストの英文を読みながら意味が取れるようになっています。
和訳だけを読むと不自然に感じられる部分がありますこと、ご了承くださいませ。
モナ・リザは / イタリアの画家、レオナルド・ダ・ヴィンチによる / 1つである / 最も有名な絵画の / 世界で。
あなたはそれ(モナ・リザ)を見ることができる / ルーブル美術館で / パリの。
その絵画は保護されている / ガラスケースと木製の柵によって、だから / 来館者は来ることができない / あまりにも近くには / それ(絵画)へ。
不可能に思われる / 盗むことは / しかし、さかのぼって1911年に / 誰かがそれ(絵画)を盗んだ / ルーブル美術館から。
誰がモナ・リザを盗んだのか、そしてなぜ?
見ていきましょう / 何が起こったのか。
男が / ビンセンツォ・ペルージャ(ヴィンチェンツォ・ペルッジャ)という名の / 働いていた / ルーブル美術館で。
言われている / 彼はメンテナンス作業員だった / そして / ガラスのカバーを付けた / モナ・リザに。
多くの人が言う / これが起こったことであると。
1911年8月21日、ビンセンツォ(ヴィンチェンツォ)は入った / ルーブル美術館に / それ(美術館)が閉館した時に / そして / モナ・リザの所へ行った。
彼は絵画を外した / 壁から / そして / それ(絵画)を運んだ / 階段へ。
おそらく / 彼はこれを行った / 他の誰かと一緒に / なぜなら / 額縁を含めた絵画は / 重さが約90kgあったからだ。
階段で、彼は絵画を取り出し / 額縁から、それ(額縁から外した絵画)を隠し / シャツの下に / そして / それ(額縁から外した絵画)を家に持ち帰った。
一方ルーブル美術館では、誰も気づかなかった / その絵画がなくなっていることに / 翌日まで。
人々が気づいた時、皆が混乱した。
モナ・リザはすでに / とても有名な絵画だった / だから / そのニュースはすぐに広まった / 世界中に。
それでは / なぜビンセンツォ(ヴィンチェンツォ)は絵画を盗んだのか?
ビンセンツォ(ヴィンチェンツォ)は生まれた / イタリアで。
彼は信じていた / モナ・リザは盗まれたと / 彼の国から、だから / 彼はそれ(絵画)を見るたび / 彼は思った、
「モナ・リザは / イタリアにあるべきだ、フランスではなく!」
実際には、フランス国王は / 手に入れた / モナ・リザを / 1500年代に、だから / それ(モナ・リザ)は盗まれてなかった。
考えられている / ビンセンツォ(ヴィンチェンツォ)は保管していたと / モナ・リザを / 彼のアパートに / 2年間、その後 / イタリアへ行った / それ(モナ・リザ)を売ろうとして。
彼は見つけた / 画商を / 彼(画商)がそれ(モナ・リザ)を買いたいと言った / しかし / その画商は確認する必要があった / 確かめるために / それ(絵画)が本物だと。
それ(絵画)は本物だった、そして / その画商は警察に通報した。
ビンセンツォ(ヴィンチェンツォ)は逮捕された / そして / 拘置所に入れられた。
しかし / ビンセンツォ(ヴィンチェンツォ)は幸運だった。
一部の人々は考えた / 彼が英雄だと / モナ・リザをイタリアに持ち帰ったことで。
そのため、彼は出た / 拘置所から / たった7ヶ月後に。
モナ・リザについては、それ(モナ・リザ)はイタリアを巡回した / 戻る前に / ルーブル美術館へ / 1914年1月に。
イタリアの人々は / とても喜んだ / それ(モナ・リザ)を見ることに / その(モナ・リザの)母国で。
この物語は起こったが / 100年以上前に、イタリアの一部の人々は / まだ思っている / ビンセンツォ(ヴィンチェンツォ)は良いことをしたと。
2011年、劇が / 彼の冒険を描いた / 上演された / 彼の故郷で。
ほとんどの人たちにとっては、ビンセンツォ(ヴィンチェンツォ)は泥棒だった、しかし / 一部の人々にとって、彼は英雄だった。
自然な日本語訳バージョン
英文を後ろから訳し(返り読み)、意訳も含み日本語らしい文章にしています。
イタリアの画家、レオナルド・ダ・ヴィンチによって描かれたモナ・リザは、世界で最も有名な絵画の1つである。
モナ・リザは、パリのルーブル美術館で見ることができる。絵画は、ガラスケースと木製の柵で保護されており、来館者はあまり近づくことができない。
盗むのは不可能に思われるが、1911年、何者かがルーブル美術館からモナ・リザを盗んだ。
誰がモナ・リザを盗んだのか、そしてなぜ盗んだのか?
何が起こったのか見ていくことにしよう。
ビンセンツォ・ペルージャ(ヴィンチェンツォ・ペルッジャ)という男が、ルーブル美術館で働いていた。彼はメンテナンス作業員であり、モナ・リザにガラスカバーを取り付けたと言われている。
多くの人が、これが起こったことだ、と話している。
1911年8月21日、ビンセンツォ(ヴィンチェンツォ)は閉館後のルーブル美術館に入り、モナ・リザの元へ向かった。彼は壁から絵画を外し、階段まで運んだ。おそらく彼はこれを他の誰かと行ったのだろう、なぜなら、額縁を含めた絵画は、約90kgの重さだったからだ。階段で、ビンセンツォ(ヴィンチェンツォ)は絵画を額縁から外し、シャツの下に隠して自宅へ持ち帰った。
一方ルーブル美術館では、翌日まで、絵画がなくなっていることに誰も気づかなかった。皆が気づくとパニックになった。モナ・リザはすでにとても有名な絵画だったので、そのニュースはすぐに世界中に広まった。
それでは、なぜビンセンツォ(ヴィンチェンツォ)は絵画を盗んだのか?
ビンセンツォ(ヴィンチェンツォ)はイタリアで生まれた。
彼は、モナ・リザが自分の国から盗まれたと信じていて、見るたびに思っていた。
「モナ・リザは、フランスではなくイタリアにあるべきだ!」
実際は、1500年代に、フランス国王がモナ・リザを手に入れており、盗まれたものではなかった。
ビンセンツォ(ヴィンチェンツォ)は、モナ・リザを自分のアパートに2年間保管し、その後それを売ろうとイタリアへ行ったと考えられている。
ビンセンツォ(ヴィンチェンツォ)は、モナ・リザを買いたいと言う画商を見つけた、しかし、その画商は、絵画が本物であることを確かめるために確認が必要だった。
絵画は本物だった。画商は警察に通報した。
ビンセンツォ(ヴィンチェンツォ)は逮捕され、拘置所に入れられた。
だが、ビンセンツォ(ヴィンチェンツォ)は幸運だった。彼がモナ・リザをイタリアに取り戻した英雄だと考える人がいたのだ。そのため、彼はたった7ヶ月で拘置所から釈放された。
モナ・リザについては、1914年1月にルーブル美術館へ戻る前にイタリアを巡回した。イタリアの人々は、自国でモナ・リザを見ることができ、とても喜んだ。
この物語は100年以上前に起こったことだが、イタリアにはまだ思っている人たちがいる、ビンセンツォ(ヴィンチェンツォ)が良いことをしたと。
2011年、ビンセンツォ(ヴィンチェンツォ)の故郷で、彼の冒険を描いた劇が上演された。
ほとんどの人にとっては、ビンセンツォ(ヴィンチェンツォ)は泥棒だったが、一部の人にとっては英雄だった。
エンディング 森崎ウィンさんのトーク
いやー、俺ね、モナ・リザ見たことないんですよ!
めっちゃ見てみたいんですよ!
ちなみに1974年に、東京に来た時は、150万人の人が見に来たらしいですよ。
まだ生まれてない!
See you tomorrow!
参考リンク
モナ・リザが有名になるにつれ、警備も強化されていく様子をご覧ください。
- 1911年、ビンセンツォ・ペルージャが盗んだ時
モナ・リザは他の絵画と横並びでした。
- 1974年、東京国立博物館「モナリザ展」
ガラスで保護されていますが近い?誰かがスプレーをかける事件がありました。
- 2024年、ルーブル美術館でモナリザにスープが投げつけられる
現在は強化ガラスで守られていて、距離も遠いですね。
- 1911年~2024年、モナ・リザが受けた6度の受難
補足:固有名詞の発音
海外の固有名詞は、日本語のカタカナ表記や読み方と異なる場合が多いです。
今回の物語で登場した固有名詞の、アメリカ発音は以下の通りです。
- Mona Lisa /moʊnə lisə/
- Leonardo da Vinci /liənɑrdoʊ də víntʃi/
- Louvre /luvrə/
- Vincenzo Peruggia (イタリア人の個人名)
日本では “ビンセンツォ・ペルージャ” の表記が一般的なようです。
今回の物語のナレーターさんは、イタリア語に近い、”ヴィンチェンツォ・ペルッジャ” の発音に近かったため、本ページの和訳では両方記載しました。