NHKラジオ英語番組『エンジョイ・シンプル・イングリッシュ』
2025年9月3日(水)放送分
アメージング・ストーリー
『A Warm Welcome』温かい歓迎
全文和訳してみました。
英語学習の参考にしてくださっている方もおられますので、訳し方が異なる2パターンで日本語訳をしました。
- スラッシュリーディング訳
英文を前から訳す
意味はほぼ直訳
テキスト巻末のWord Listの訳を使用しています - 自然な日本語訳
英文を後ろから訳す(返り読み)
意訳を含み日本語らしい文章
森崎ウィンさんのオープニングとエンディングトークも、書き起こししています。
お役に立てれば幸いです。
テキストには英文スクリプトのみ掲載されています。
オープニング 森崎ウィンさんのトーク
Enjoy Simple English.
森崎ウィンです。
毎週水曜日は、2023年度に放送した「Amazing Stories」
アメリカで、2001年9月11日に起きた同時多発テロ。
この日、アメリカ国内の空港に着陸できなくなった多くの飛行機を、カナダの小さな町ガンダーが受け入れました。
混乱の中、町の人々による温かいもてなしは、後世に語り継がれています。
それでは、聞いてみましょう。
A Warm Welcome – 温かい歓迎
訳し方が異なる2パターンの和訳をしています。
- 放送を聞きながら英語の語順で意味を取りたい場合
→ スラッシュリーディング訳をご覧ください - 物語の全体的内容を理解したい場合
→ 自然な日本語訳バージョンをご覧ください
スラッシュリーディング訳バージョン
英文を前から訳し、意味はほぼ直訳です。
放送を聞きながらや、テキストの英文を読みながら意味が取れるようになっています。
和訳だけを読むと不自然に感じられる部分がありますこと、ご了承くださいませ。
2001年9月11日に、ニューヨーク市は攻撃された / ハイジャックされた飛行機を使って。
約4,000の飛行機が / 上空にいた / 着陸できなかった / どのアメリカの都市にも / だから / それら(飛行機)の多くは / 行かなければならなかった / カナダへ。
小さな町が / ガンダーという名の / 迎えた / 38の飛行機を。
それ(ガンダー)は記憶されている / 温かい歓迎が理由で / それ(ガンダー)が与えた / 疲れた乗客や搭乗員に。
見ていきましょう / 何が起こったか。
ガンダーは町だ / ニューファンドランド島にある / カナダ東部の。
約1万人が / 住んでいる / そこに。
この日に / 2001年の、7,000人近くの人々が / 着陸した / 地元の空港に。
世話をすることは / これらすべての人々の / 簡単ではないだろう / しかし / 住民たちはしたかった / すべてを / 彼ら(住民)ができた。
すぐに、学校、教会、そしてコミュニティセンターが / 変えられた / 場所に / 人々が滞在するための。
何人かは乗客を泊まらせさえした / 彼らの家に。
これに加えて、多くの食料が寄付されたので / 地元のスケート場が使われた / 巨大な冷蔵庫として。
(構文:so ~ that ~)
また、もし誰かが必要としたなら / 大事な薬を、薬局は与えた / それを彼らに / 無料で。
公衆電話も使えた / 無料で。
1人の乗客は言った、
「すべてがよく準備されていました。」
みんな(乗員乗客)が持った時 / 食料と寝るための場所を、地元の人々は確実にした / 彼ら(乗員乗客)が楽しむことを / 彼らの滞在を。
彼ら(住民)は連れて行った / 「飛行機の人々」を / ツアーに / 町中を、ボウリングの試合をした / そして / コンサートを開催した / 地元のアーティストによる。
彼らはまた / 訪問者たちに試させた / 特別な地元の料理、ヘラジカのスープを。」
1人の地元住民は言った、
「私たちはいつも助けています / 困っている人々を。
それはただ私たちがやることです / 毎日。」
数日後、9月13日に、飛行機は着陸できた / アメリカに / 再び / だから / 訪問者たちは始めた / 出発することを。
最後の飛行機が離れた / ガンダー空港を / 9月16日に。
ある乗客は / 出発する / 言った、
「私たちは去りたくありませんでした。
私たちは過ごしていました / 素晴らしい時間を。」
ガンダーは実際に / 長い歴史がある / 人々を助ける / 行くべき場所がない(人々を)。
1970年代後半から / 1990年代初めまで、難民が / 東ヨーロッパからの / 到着した / ガンダーに。
時々 / より多くの人々がいた / ホテルが収容できたよりも / だから / 彼ら(難民)は滞在した / 学校や教会に。
この経験がおそらく / 助けた / 地元住民を / 何千人もの人々が到着した時 / 9月11日に。
経った / 20年以上が / 9.11から、しかし / 「飛行機の人々」はまだ深いつながりを持つ / ガンダーの人々と。
旅行した人もいる / ガンダーへ / 記念日に / 9.11攻撃の。
助けた人もいる / 支払うことを / 教育のために / ガンダー地域の学生たちの。
(構文:some ~, others ~)
2013年、ガンダーについてのミュージカルが / 作られた。
それは公演された / ブロードウェイや他の場所で / 世界の。
それはまだ公演されている / 今日も。
「飛行機の人々」は滞在しただけだった / ガンダーに / 数日間 / しかし / この温かい歓迎の物語は / 記憶されるだろう / 何年間 / 来るべき。
自然な日本語訳バージョン
英文を後ろから訳し(返り読み)、意訳も含み日本語らしい文章にしています。
2001年9月11日、ニューヨーク市はハイジャックされた飛行機に攻撃された。上空にいた飛行機の約4,000機が、アメリカのどの都市にも着陸できなくなった、そのため、その多くはカナダへ行かなければならなかった。
ガンダーという名の小さな町が、38機の飛行機を迎え入れた。この町は、疲れた乗客乗員へ行った温かい歓迎で、覚えられている。
何が起こったのか見ていこう。
ガンダーは、カナダ東部ニューファンドランド島にある町である。約1万人が、そこに住んでいる。
2001年のこの日、7,000人近くの人々が地元の空港に着陸した。これら全員の世話をするのは、簡単ではないだろう、だが、住民たちはできることは全てやりたいと思った。
すぐに、学校、教会、コミュニティセンターが、人々が滞在するための場所に変えられた。自宅に乗客を泊まらせる人さえいた。これに加えて、多くの食料が寄付されたため、地元のスケート場が巨大な冷蔵庫として使われた。また、誰かが大事な薬を必要とすれば、薬局は無料で提供した。公衆電話も無料で使えた。
1人の乗客が言った、
「何もかもがよく行き渡っていました。」
皆が食料と寝る場所を得ると、地元の人たちは、皆が滞在を楽しめるよう手配した。彼らは『飛行機の人々』を町案内ツアーへ連れて行ったり、ボウリング大会をしたり、地元アーティストによるコンサートを開催した。また、訪問者たちに特別な地元料理、ヘラジカのスープを試食させた。
1人の地元住民が言った、
「私たちはいつも困っている人を助けています。それはただ、毎日私たちがしていることにすぎません。」
数日後の9月13日、飛行機が再びアメリカに着陸できるようになった、そのため、訪問者たちは出発し始めた。9月16日、最後の飛行機がガンダー空港を出発した。
出発する乗客が言った。
「私たちは去りたくなかったんです。素晴らしい時間を過ごしていました。」
ガンダーには実際、行き場のない人々を助けた長い歴史がある。1970年代後半から1990年代初頭まで、東ヨーロッパからの難民が、ガンダーに到着した。時には、ホテルの収容人数よりも多くの人がいた、そのため、難民は学校や教会に滞在した。
9月11日に何千人もの人々が到着した時、この経験が地元住民の役に立ったのかもしれない。
9.11から20年以上が経ったが、「飛行機の人々」は今もガンダーの人々と深いつながりを持っている。9.11追悼日にガンダーへ旅行した人もいれば、ガンダー地域の学生の教育のため、支払いに協力した人もいる。
2013年、ガンダーについてのミュージカルが制作された。そのミュージカルは、ブロードウェイや世界の他の場所で上演された。現在もまだ上演されている。
「飛行機の人々」は、数日間ガンダーに滞在しただけだったが、この温かい歓迎の物語は、今後何年にもわたって記憶に残されるだろう。
エンディング 森崎ウィンさんのトーク
9.11、あの混乱の裏でこんなストーリーがあったとは。
また後日談ですが、同じ飛行機に乗っていた乗客二人がですね、ガンダー滞在中に親しくなり、そのあと結婚されたと。
ハネムーンはもちろん、ガンダーで過ごしたそうですよ。
See you tomorrow.
参考リンク
この物語のミュージカルのタイトルは『Come From Away』です。
ミュージカルは、日本でも2024年に上演されました。
邦題は『カム・フロム・アウェイ』
アメリカ版のティザー映像です。最後に一瞬、カップルの初kiss&乗客が祝福するシーンがあります。
おまけ:長文読解 4択クイズ
AIが問題を作ってくれましたのでシェアします。長文読解学習のお役に立てば。
問題
①According to the text, why did so many planes have to land in Canada on September 11th, 2001?
- Because there were not enough runways for all of them to land in American cities.
- Because American cities were attacked, and planes could not land there.
- Because the planes were running out of fuel and needed to land immediately.
- Because the Canadian government invited all the planes to land there.
②How did the residents of Gander help the thousands of visitors?
- They provided them with free car rentals and hotel rooms.
- They gave them money and helped them find new jobs.
- They changed schools, churches, and community centers into places for people to stay.
- They took them to other Canadian cities to get on different flights.
③What happened to the “plane people” who stayed in Gander after a few days?
- They were able to fly back to their homes.
- They did not want to leave because they were having a great time.
- They had to leave on September 13th, no matter what.
- They decided to stay in Gander and live there permanently.
④The text mentions that Gander has a history of helping people. How did this past experience likely help the residents on September 11th?
- They had already built new hotels and airports to handle the large number of people.
- The previous refugees from eastern Europe came back to help.
- They had previous experience taking care of large groups of people in schools and churches.
- They had experience with air traffic control from the 1970s and 1980s.
回答&日本語訳
①:B
②:C
③:B
④:C
①本文によると、2001年9月11日になぜこれほど多くの飛行機がカナダに着陸しなければならなかったのでしょうか?
- アメリカの都市に着陸するのに十分な滑走路がなかったからです。
- アメリカの都市が攻撃され、飛行機が着陸できなかったからです。
- 飛行機の燃料がなくなり、すぐに着陸する必要があったからです。
- カナダ政府がすべての飛行機にカナダに着陸するよう要請したからです。
②ガンダーの住民は、何千人もの訪問者をどのように支援しましたか?
- 無料のレンタカーとホテルの部屋を提供しました。
- お金を与え、新しい仕事を見つけるのを手伝いました。
- 学校、教会、コミュニティセンターを人々の滞在場所に変えました。
- 別の飛行機に乗れるように、彼らをカナダの他の都市に連れて行きました。
③数日後、ガンダーに滞在した「飛行機の人々」はどうなりましたか?
- 彼らは飛行機で自宅に戻ることができました。
- とても楽しい時間を過ごしていたので、帰りたくありませんでした。
- 彼らは何があろうと9月13日にここを去らなければなりませんでした。
- 彼らはガンダーに留まり、永住することを決意しました。
④本文には、ガンダーには人々を助けてきた歴史があると記されています。この過去の経験は、9月11日、住民にとってどのように役立ったでしょうか?
- 彼らはすでに、大勢の人々に対応するために新しいホテルや空港を建設していました。
- 東ヨーロッパから以前に避難していた人たちも、支援のために戻ってきました。
- 彼らは、学校や教会で大勢の人々の世話をした経験がありました。
- 彼らは1970年代と1980年代から航空管制の経験を持っていました。