NHKラジオ英語番組『エンジョイ・シンプル・イングリッシュ』
2025年4月23日(水)放送分
アメージング・ストーリー
『Japan Helps Polish Orphans』
日本がポーランドの孤児を救済
全文和訳してみました。
英語学習の参考にしてくださっている方もおられますので、訳し方が異なる2パターンで日本語訳をしました。
- スラッシュリーディング訳
英文を前から訳す
意味はほぼ直訳
テキスト巻末のWord Listの訳を使用しています - 自然な日本語訳
英文を後ろから訳す(返り読み)
意訳を含み日本語らしい文章
森崎ウィンさんのオープニングとエンディングトークも、書き起こししています。
お役に立てれば幸いです。
テキストには英文スクリプトのみ掲載されています。
オープニング 森崎ウィンさんのトーク
Enjoy Simple English.
森崎ウィンです。
毎週水曜日は、2023年度に放送した「Amazing Stories」をお届けします。
今日は「Japan Helps Polish Orphans」
1920年代初め、ロシア革命の最中、日本は、シベリアで孤立した700人を超えるポーランドの孤児を受け入れました。
ポーランドでは有名なこの救出劇。
早速聞いてみましょう。
Japan Helps Polish Orphans – 日本がポーランドの孤児を救済
訳し方が異なる2パターンの和訳をしています。
- 放送を聞きながら英語の語順で意味を取りたい場合
→ スラッシュリーディング訳をご覧ください - 物語の全体的内容を理解したい場合
→ 自然な日本語訳バージョンをご覧ください
スラッシュリーディング訳バージョン
英文を前から訳し、意味はほぼ直訳です。
放送を聞きながらや、テキストの英文を読みながら意味が取れるようになっています。
和訳だけを読むと不自然に感じられる部分がありますこと、ご了承くださいませ。
2022年10月、パーティーが開かれました / 日本大使の家で / ポーランドのワルシャワの。
このパーティーで、あるポーランド人の招待客が言いました、
「日本は私の家族を助けました。
もし彼ら(日本の皆さん)がしなかったら、私たちはここにいなかったでしょう。」
1920年から1922年、合計765名のポーランドの孤児が / 来ました / 日本へ。
このパーティーは開かれました / 100年を祝うために / これ(孤児が日本に来た)が起こってから。
それでは、なぜそれ(孤児が日本に来た)が起こったのでしょうか?
見ていきましょう / 聞くことで / この驚くべき物語を。
1700年代後半、ポーランドは占領されました / ロシア、オーストリア、プロイセンによって。
一部のポーランド人は作ろうとしました / 新しいポーランドを、しかし / 彼らは捕まりました / ロシア政府によって / そして / シベリアに送られました。
後に、1917年、ロシア革命が起こりました。
多くのポーランド人が / ロシアに住んでいた / 逃げました / シベリアへ / 加わるために / ポーランド人コミュニティに / そこ(シベリア)の。
悲しいことに、多くの人々が亡くなりました、そして / 多くの子供たちが失いました / 彼らの親を。
これらの孤児たちは貧しく、寒く、そして空腹でした。
1918年、ポーランドはなりました / 独立国に / 再び、そして / 救助団体はしたかった / 孤児たちを連れ戻すことを。
しかし / 彼ら(救助団体)はロシアを移動できませんでした / ロシアを通って / (ロシア)革命のせいで。
彼ら(救助団体)は見つけなければなりませんでした / 別の方法を。
彼ら(救助団体)は頼みました / 多くの国に / 彼ら(孤児)を助けるように、しかし / 誰もしませんでした / 日本が最後に同意するまで / 助けることに。
日本赤十字社といくつかの他の団体が / 選ばれました / 孤児たちの世話をするために。
1920年、孤児の最初のグループが / 到着しました / 敦賀港に / 福井県の。
彼ら(孤児)は連れられました / 東京へ。
孤児たちは与えられました / 食べ物と良い世話を。
1922年、第二のグループが到着しました / そして / 連れられました / 大阪へ。
大衆はとても興味を持つようになりました / これらの子供たちに。
多くの人々が援助したかった、そこで / 彼ら(多くの人々)は寄付しました / 食べ物、お金、そして他の物を。
皇后陛下さえ / 当時の / 訪問しました / 彼ら(孤児)に。
彼ら(孤児)の滞在中、孤児たちはゲームで遊びました / そして / 時々 / 連れられました / 観光地へ、動物園のような。
彼ら(孤児)はなりました / 強くて健康に。
その後 / 彼ら(孤児)は続けました / 彼らの帰国を / ポーランドへの。
全員が無事に戻りました / 家に。
孤児の1人は / 後に / 言いました、
「看護師たちは親切でした / そして / 世話をしてくれました / 私の / まるで私が1人であるかのように / 彼ら(看護師)自身の子供の。」
この物語はとても有名です / ポーランドで、だから / 1990年代、ポーランドの人々は喜びました / 日本を助けることを。
彼ら(ポーランド人)は温かく迎えました / 日本の子供たちを / 被害を受けた / 1995年の地震で / 関西地方の。
友情は / 日本とポーランドの間の / 続いています。
自然な日本語訳バージョン
英文を後ろから訳し(返り読み)、意訳も含み日本語らしい文章にしています。
2022年10月、ポーランド、ワルシャワにある日本大使公邸でパーティーが開催されました。このパーティーで、あるポーランド人の招待客が言いました。
「日本は私の家族を助けてくれました。もし日本が助けてくれなかったら、私たちはここにいなかったでしょう。」
1920年から1922年にかけ、合計765名のポーランドの孤児が日本へ来ました。このパーティーは、その出来事が起きてから100年を祝うために開催されました。
では、なぜそのようなことが起こったのでしょうか?
この驚くべき物語を聞き、知っていきましょう。
1700年代後半、ポーランドは、ロシア・オーストリア・プロイセンに占領されました。一部のポーランド人が新しいポーランドを作ろうとしましたが、彼らはロシア政府に捕らえられ、シベリアに送られました。
その後、1917年、ロシア革命が起こりました。
ロシアに住んでいた多くのポーランド人は、シベリアのポーランド人コミュニティに合流しようと、シベリアへと逃げました。
悲しいことに、多くの人が亡くなり、多くの子供たちが親を失いました。これらの孤児たちは貧しく、寒く、飢えていました。
1918年、ポーランドは再び独立国となりました。救済団体は、孤児たちを連れ戻したいと望みました。しかし、革命のせいで、ロシアを通過することができませんでした。
救済団体は別の方法を見つけなければなりませんでした。多くの国に援助を求めましたが、最終的に日本が援助を受け入れるまで、どの国も援助しませんでした。
日本赤十字社といくつかの団体が、孤児たちの世話をするために選ばれました。
1920年、孤児の最初のグループが、福井県の敦賀港に到着しました。孤児たちは東京に連れられ、食料と手厚い世話を受けました。
1922年、第二グループが到着し、大阪に連れられました。一般の人々は、子供たちにとても関心を寄せました。多くの人が援助したいと思い、食料、お金、その他の物を寄付しました。
当時の皇后陛下さえ、孤児たちを訪問されました。
滞在中、孤児たちはゲームで遊んだり、時には動物園などの観光地に連れられました。彼らは強く健康になりました。
その後、ポーランドへの帰国を続けました。全員が無事に故郷へ戻りました。
孤児の1人は、後に語りました。
「看護師さんたちは親切で、まるで我が子の1人のように、私の世話をしてくれました。」
この物語はポーランドでとても有名です。そのため、1990年代、ポーランドの人々は喜んで日本を助けました。彼らは、1995年の関西地方の地震で被害を受けた日本の子供たちを、温かく迎えました。
日本とポーランドの友好関係は続いています。
エンディング 森崎ウィンさんのトーク
100年前にこんなことがあったんですねぇ。
僕は全然知らなかった。
ポーランドの孤児たちが帰国したのちも、日本で覚えた歌や、楽しく過ごした思い出などを、自分の子供や孫に語ったそうですよ。
それでは、See you tomorrow.
参考リンク
私がこの件を知ったのは、阪神・淡路大震災がきっかけでした。
今もなお100年以上、ポーランドと日本の間で、恩返しのやり取りが続いています。
下記は、日本赤十字社のリンクです。