NHKラジオ英語番組『エンジョイ・シンプル・イングリッシュ』
2026年4月8日(水)放送分
世界の偉人伝
『Clara Schumann』
クララ・シューマン
全文和訳してみました。直訳と意訳の間ぐらいで訳しています。
森崎ウィンさんのオープニングとエンディングトークも、書き起こししています。
お役に立てれば幸いです。
テキストには英文スクリプトのみ掲載されています。
オープニング 森崎ウィンさんのトーク
Enjoy Simple English.
森崎ウィンです。
毎週水曜日は、2022年度に放送した「Heros and Giants、世界の偉人伝」です。
今日は、19世紀に活躍したドイツの女性ピアニスト “Clara Schumann” です。
早速、聞いてみましょう。
Clara Schumann「クララ・シューマン」
19世紀のドイツは、楽な時代ではありませんでした、才能ある女性たちにとっては。ですが、ひとりののスーパーウーマンがいました。彼女は、ピアニスト、作曲家、母親、妻、そしてピアノ教師として偉大なことをしました。また、彼女は、夫の音楽を世界に紹介しました。
これはクララ・シューマンの物語です。
今日、多くの人が彼女のことを知っています、有名な作曲家ロベルト・シューマンの妻として。しかし、彼らの生前は、クララがロベルトより有名でした。
クララは、1819年にドイツで生まれました。彼女の父親はピアノ教師で、娘にとても才能があることがわかっていました。そのため、父親は、彼女にとても熱心に練習するよう駆り立てました。
クララがわずか9歳の時、彼女は最初のコンサートを開き、多くの新聞が彼女について記事にしました。12歳になると、クララはヨーロッパ中を旅し、多くの人のために演奏しました。
この頃、ロベルト・シューマンがクララの父のもとへ学びに来ました。彼はクララより8歳年上でした、それで、彼女は彼を兄のように尊敬していました。
当時、クララの日々はとても忙しいものでした。彼女は、多くの有名な作曲家の前で演奏しました、ショパンやリストといった。彼らは皆、彼女についてとても良いことを言い、彼女がより優れたピアニストや作曲家になるのを支えました。
そのころ、多くの人は考えていませんでした、女性が作曲をしたり音楽を書けるとは。ですので、クララには多くの支援者がいて恵まれていました、父親や友人のロベルトも含めて。
彼女は作曲が大好きでした。彼女は言いました。
「自分で何かを作曲する喜びより素晴らしいものはありません。」
(構文:There is nothing 比較級 than ~)
のちに、クララとロベルトは恋に落ちました。クララの父親はそれを知り、激怒しました。父親はロベルトに、クララと自分からも離れているよう言いました。
それは二人にとって幸せな時期ではありませんでした。
恋人同士が会えないとき、よくラブレターを書きますが、クララとロベルトはお互いのために曲を書きました。ロベルトの最も有名な曲の多くは、この時期にできました。
クララが20歳のとき、ロベルトと結婚しました。二人の間には8人の子供がいました。彼女は母親として忙しかったのですが、大家族を養わなければなりませんでした。そのため彼女は、多くの日々をコンサートでの演奏に費やしました。
彼女は有名なピアニストだったため、人々は彼女の演奏を聴くため多額のお金を支払いました。5ヶ月のコンサートで、18年分の家賃を支払ったと言われています。彼女は仕事と私生活を両立させました。
ロベルトは1856年に亡くなりました、そして彼女は悲しかったのか、音楽を書くのをやめました。
しかしながら、彼女は72歳まで演奏を続けました。彼女は夫の曲を編集し、自分のコンサートで演奏しました。クララは、人々にロベルトの音楽を聴いてほしかったのです。
クララがいなければ、ロベルトはこれほど有名にならなかったかもしれません。
エンディング 森崎ウィンさんのトーク
恥ずかしながら、クララ・シューマンのことは、今回で初めて知りました。
夫のね、ロベルト・シューマンは有名だし、もちろん聞いたことはあるんですけれども、その裏には妻の支えがあったという。
いやー、勉強なります!
See you tomorrow!

