NHKラジオ英語番組『エンジョイ・シンプル・イングリッシュ』
2025年6月11日(水)放送分
アメージング・ストーリー
『Building the Empire State Building』
エンパイア・ステート・ビル建設の裏側
全文和訳してみました。
英語学習の参考にしてくださっている方もおられますので、訳し方が異なる2パターンで日本語訳をしました。
- スラッシュリーディング訳
英文を前から訳す
意味はほぼ直訳
テキスト巻末のWord Listの訳を使用しています - 自然な日本語訳
英文を後ろから訳す(返り読み)
意訳を含み日本語らしい文章
森崎ウィンさんのオープニングとエンディングトークも、書き起こししています。
お役に立てれば幸いです。
テキストには英文スクリプトのみ掲載されています。
オープニング 森崎ウィンさんのトーク
Enjoy Simple English.
森崎ウィンです。
毎週水曜日は、2023年度に放送した「Amazing Stories」
今日の舞台は、ニューヨークを代表する高層ビル「エンパイア・ステート・ビルディング」です。
建設当時、わずか1年あまりで完成したのですが、現場を支えたのは移民や先住民族たちでした。
“the Great Depression” は「大恐慌」のことです。
では、舞台裏について、早速聞いてみましょう。
Building the Empire State Building – エンパイア・ステート・ビル建設の裏側
訳し方が異なる2パターンの和訳をしています。
- 放送を聞きながら英語の語順で意味を取りたい場合
→ スラッシュリーディング訳をご覧ください - 物語の全体的内容を理解したい場合
→ 自然な日本語訳バージョンをご覧ください
スラッシュリーディング訳バージョン
英文を前から訳し、意味はほぼ直訳です。
放送を聞きながらや、テキストの英文を読みながら意味が取れるようになっています。
和訳だけを読むと不自然に感じられる部分がありますこと、ご了承くださいませ。
あなたは見たことがあるかもしれません / ニューヨークのエンパイア・ステート・ビルを / 映画やテレビ番組で。
それは最初の建物でした / 世界で / 100階以上ある / そして / 建てられました / たった1年あまりで。
知っていきましょう / どのようにこれが行われた(建てられた)のかを。
作る計画が / 新しくて高いビルを / ニューヨーク市に / 公表されました / 1929年夏に。
その後、10月に / 同じ年の、大恐慌が始まりました。
それは困難な時期でした / 国にとって、しかし / それ(大恐慌)が簡単にさせました / 人々を見つけることを / エンパイア・ステート・ビルで働く(人々を)。
次の春、建設業者は働き始めました / そして / 合計で / 3,500人の男性が参加しました。
それで、誰だったのでしょうか / これらの男性たちは?
彼らの多くは人々でした / イタリアやアイルランドから来た。
しかし / たくさんのアメリカ先住民もいました / モホーク族出身の。
モホーク族の人々は呼ばれていました / 「モホーク・スカイウォーカー」と / なぜなら / 彼らが恐れなかったからです / 働くことを / 高い所で。
これらの技術は伝授されました / 息子や孫息子へと、それで / モホーク族の人々は働きました / 多くの建物で / アメリカの大都市の。
勇敢で熟練した労働者がいたことが / モホーク族のような / 助けました / エンパイア・ステート・ビルを建設することを。
実際に / 多くの写真があります / モホーク族や他の労働者の。
あなたは見ることができます / 彼ら(労働者)がくつろいでいたり、タバコを吸っていたり / そして / 眠ってさえいるのを / ビルの高所で。
建設業者は非常によく準備されていました。
小さな列車がありました / 地下に / すべてを運ぶ / 彼らが必要とした(すべてを) / 鉄鋼やレンガなどのような / エレベーターへ。
そして、エレベーターが運びました / 資材を / 上の階へ。
レストランさえありました / 建物の中に / そのため労働者たちは行く必要がありませんでした / はるばる降りて / 彼らの昼食を買うために。
(結果:so that ~)
皆が働いたので / とても素早く / 時々、4階半のフロアが建設されました / 1週間で。
(構文:so ~ that ~)
1931年5月1日、エンパイア・ステート・ビルはオープンしました。
たった1年と45日で、彼ら(労働者)はビルを建てました / 高さ381mの。
エンパイア・ステート・ビルは人気になりました / すぐに、そして / たくさんの人々が訪れました / 展望台を。
残念ながら、大恐慌のせいで、多くのオフィスは空室のままでした、そのため / 数年間 / 一部の人々は呼びました / それ(ビル)を / 「空っぽ・ステート・ビル」と。
しかし / 経済が回復するにつれて、より多くの企業が入居しました、そして / 1940年代後半までに / オフィスは満室になりました。
1万5千人が働きました / そのビルで / 毎日。
エンパイア・ステート・ビルはあり続けました / 最も高い建物として / 世界で / ほぼ40年間。
今日、それ(ビル)はまだ愛されています / 人々から / 世界中の。
もしあなたがいつか訪れるなら、願わくば、あなたが思い出して欲しい / この物語を。
自然な日本語訳バージョン
英文を後ろから訳し(返り読み)、意訳も含み日本語らしい文章にしています。
ニューヨークのエンパイア・ステート・ビルを、映画やテレビ番組でご覧になったことがあるかもしれません。エンパイア・ステート・ビルは、100階以上ある世界初のビルで、わずか1年あまりで建設されました。
どのようにして建設されたのか、見ていきましょう。
1929年夏、ニューヨーク市に新しい高層ビルを建設する計画が公表されました。その後、その年の10月、大恐慌が始まりました。国にとっては困難な時期でしたが、大恐慌がエンパイア・ステート・ビルで働く人々を見つけやすくしました。
次の春、建設業者は働き始め、合計3,500名の男性が参加しました。
では、これらの男性たちは誰だったのでしょう?
多くがイタリアやアイルランドから来ていました。ですが、モホーク族出身のアメリカ先住民も多くいました。モホーク族の人々は、高所での作業を怖がらなかったため「モホーク・スカイウォーカー」と呼ばれていました。これらの技術は息子や孫息子へと受け継がれ、モホーク族の人々はアメリカの大都市での多くの建物で働きました。
モホーク族のような勇敢で熟練した労働者がいたことが、エンパイア・ステート・ビルの建設に役立ちました。
実際に、モホーク族や他の労働者の写真が多くあります。彼らがビルの高所で、くつろいだり、タバコを吸ったり、眠ってさえいるのを見ることができます。
建設業者はとても効率が良かったのです。鉄鋼やレンガなど、必要なものすべてをエレベーターまで運ぶ小さな列車が、地下にありました。そして、そのエレベーターが資材を上の階へと運びました。
建物内にはレストランまであり、労働者たちが昼食を買いに、はるばる下まで降りる必要がありませんでした。
皆がとても素早く働いたため、時には1週間に、4階半のフロアが建設されることもありました。
1931年5月1日、エンパイア・ステート・ビルはオープンしました。わずか1年と45日で、彼らは高さ381mのビルを建設しました。
エンパイア・ステート・ビルはすぐに人気となり、多くの人々が展望台を訪れました。
残念ながら、大恐慌により、多くのオフィスは空室のままでした。そのため、数年間、ビルのことを「空っぽ・ステート・ビル」と呼ぶ人もいました。
ですが、経済が回復するにつれ、より多くの企業が入居し、1940年代後半までに、オフィスは満室になりました。毎日1万5千人がそのビルで働きました。
エンパイア・ステート・ビルは、40年近く、世界で最も高い建物であり続けました。
現在も、世界中の人々に愛されています。もしいつか訪れたら、この物語を思い出していただければ幸いです。
エンディング 森崎ウィンさんのトーク
Empire State Building 見てみたい!
ニューヨーク行きたい!
See you tomorrow!
参考リンク
- ナショナルジオグラフィックの記事です。
モホーク族がちらっと映っている写真があります。