NHKラジオ英語番組『エンジョイ・シンプル・イングリッシュ』
2026年7月22日(水)放送分
世界の偉人伝
『Edith Piaf』
エディット・ピアフ
全文和訳してみました。直訳と意訳の間ぐらいで訳しています。
森崎ウィンさんのオープニングとエンディングトークも、書き起こししています。
お役に立てれば幸いです。
テキストには英文スクリプトのみ掲載されています。
オープニング 森崎ウィンさんのトーク
Enjoy Simple English.
森崎ウィンです。
毎週水曜日は、2022年度に放送した「Heros and Giants、世界の偉人伝」です。
今回は、フランスを代表するシャンソン歌手の「エディット・ピアフ」です。
“influence” は「影響を与える」という意味ですよ。
早速、聞いてみましょう。
Edith Piaf「エディット・ピアフ」
「シャンソン」は名称です、フランスの音楽の一種を指す。
ですが、「シャンソン」はフランス語で「歌」も意味します。
ですので、フランス人にとって、それ(シャンソン)は一つだけの音楽の種類ではありません。
シャンソンは世界中で有名になりました、ある一人の歌手のおかげで。
1915年、ある少女が生まれました、パリの貧しい地域で。
彼女は成長し、有名な歌手エディット・ピアフになりました。
彼女の父親はサーカスの曲芸師で、母親はカフェで歌っていました。
彼らはとても貧しく、エディットは祖母と暮らすために行かされました、子供にとっては劣悪な環境である(祖母のところへ)。
しかし、この特殊な幼少期は影響を与えました、エディットの人格に。
エディットが7歳の時、彼女は父親と暮らし始めました。
彼は路上パフォーマンスを行い、彼女はお金を集めました、見ている人々から。
しかし、彼女は路上で一人暮らしをすることを決めます、15歳で。
彼女は路上で歌いました、生きるために。
人気のナイトクラブのオーナーが彼女が歌っているのを聞きました、1935年に、そして彼女は歌い始めることとなります、そのクラブで。
エディットは身長が142cmしかありませんでした、それにカフェのオーナーが見つけたため、彼女が鳥のように路上で歌っているのを、彼女はニックネームを付けられました、「小さなすずめ」と。
やがて「小さなすずめ」は知られるようになりました、遠く広くまで。
ある日、そのクラブのオーナーが殺害されました。
警察は誤って、彼女が殺人犯だと考えました。
それは事実ではありませんでしたが、彼女の歌手としてのキャリアを傷つけました。
幸いなことに、作家、俳優、他のアーティストたちが支えました、エディットがキャリアを続けるために。
作詞作曲家レイモン・アッソも、その一人でした。
エディットは一度も勉強したことがありませんでした、歌い方を、そのため彼は彼女に教えました。
彼女は学びました、より上手に、もっと感情を込めて歌う方法を。
アッソが書いた曲の一つがヒットし、エディットはすぐに大スター、エディット・ピアフとなりました。
この頃、ピアフは多くの才能ある若者たちを見出し、彼らがスターになる手助けもしました。
彼女は言いました、
「頂点に達したとき、覚えておかないといけないわ、エレベーターを他の人たちのために下へ降ろすことを。」
エディットはまた、多くの恋に落ちました。
彼女の有名な曲『バラ色の人生(La Vie en Rose)』は書かれたと言われています、歌手であり俳優であるイヴ・モンタンとのロマンスの間に。
のちに、エディットはプロボクサーと出会い、二人は恋に落ちました。
しかし、彼は飛行機事故で亡くなりました。
翌年、エディットの曲『愛の讃歌(Hymne à l’amour)』も大ヒットしました。
これ以降の生活は、彼女にとって幸せなものではありませんでした。
彼女は何度か自動車事故に遭い、薬物を使用し始めました。
でも、彼女は歌うことを止めませんでした。
彼女はステージで歌い、曲をリリースしました、1963年に亡くなるまで。
彼女の力強い声は今も世界中で愛されており、そして今、世界は彼女のスタイルを認めています、音楽の一種のジャンル「シャンソン」として。
彼女は言いました、
「歌うことをやめるなんてできないわ、歌うことが私の人生なのだから。」
エンディング 森崎ウィンさんのトーク
あの有名な「愛の讃歌」を歌っていたのが、エディット・ピアフなんですねぇ。
さて、NHK ONE「らじるらじる」では、パソコンやスマートフォンから、1週間、聞き逃し配信を聞くことができます。
繰り返し聞いてみてくださいね。
それでは、See you tomorrow.

