NHKラジオ英語番組『エンジョイ・シンプル・イングリッシュ』
2026年9月23日(水)放送分
世界の偉人伝
『Ogata Sadako』
緒方貞子
全文和訳してみました。直訳と意訳の間ぐらいで訳しています。
森崎ウィンさんのオープニングとエンディングトークも、書き起こししています。
お役に立てれば幸いです。
テキストには英文スクリプトのみ掲載されています。
オープニング 森崎ウィンさんのトーク
Enjoy Simple English.
森崎ウィンです。
今回は、日本人として、初めて国連難民高等弁務官を務めた「緒方貞子」です。
早速、聞いてみましょう。
Ogata Sadako「緒方貞子」
聞いたことがあるかもしれません、緒方貞子という名を、そしてご存じかもしれません、彼女が難民支援をしたと。
しかし、彼女は具体的に何をしたのでしょうか?
緒方を「小さな巨人」と呼ぶ人もいました、なぜなら、彼女は身長がたった5フィート(約152cm)でしたが、成し遂げたからです、人々の生活を大きく変えることを。
こちらが彼女の物語です。
緒方は生まれました、東京で、1927年に。
彼女の曾祖父は元総理大臣の犬養毅でした、彼は殺害されました、日本軍に反対したため。
彼女の父親は外交官だったので、緒方は子供時代を過ごしました、サンフランシスコ、中国、香港で。
彼女は日本へ戻ってきました、1930年代後半に。
緒方は17歳のとき、長野県へ引っ越しました(疎開)、アメリカによる東京大空襲の後に。
緒方には多くの友人がいました、アメリカに。
彼女は悲しみました、友人の国が日本に爆弾を落としていることに。
大学卒業後、緒方はアメリカへ留学しました。
そこで彼女は実感しました、アメリカが非常に豊かであることを。
彼女は知りたいと思いました、なぜ日本が戦争を始めたのか、こんな強い国に対して。
そして、彼女は研究し執筆しました、満州事変について、そして第二次世界大戦につながる出来事について。
人々は良い評価をしました、緒方の研究について、アメリカと日本の両方で。
(アメリカと日本の双方で、緒方の研究は高く評価されました。)
緒方は結婚し子供を育てました、そして研究も続けました。
そしてある日、彼女は国連で働くよう依頼されました。
その後、1991年、彼女が63歳のときに、緒方はトップになりました、国連難民高等弁務官事務所、UNHCRの。
この仕事を始めてからわずか数ヶ月後、緒方は非常に難しい問題を解決しなければなりませんでした。
イラク北部で、クルド人と呼ばれるグループが、イラク政府を取り除こうとしました(排除、打倒)が、失敗しました。
これが原因で、クルド人はイラク国内に安全にとどまれなくなり、約40万人のクルド人がトルコへ行こうとしました(避難)。
しかし、トルコは彼ら(クルド人)を入国させようとしませんでした。
クルド人はとどまらなければなりませんでした、イラク国内に。
当時、UNHCR(国連難民高等弁務官事務所)は定めていました、自国にとどまっている人は難民ではないと。
これは意味していました、クルド人が何の支援も受けられないことを、UNHCR(国連難民高等弁務官事務所)から。
しかし緒方は彼ら(クルド人)を援助したかったので、規則を変える決意をしました。
規則を変えることはほぼ不可能でした、ですが彼女はそれを成し遂げました、しかも素早く行いました、クルド人を救うために。
彼女はイラク政府と困難な会談を行い、素早く難民キャンプを設置しました。
緒方は難民を支援しました、ボスニア、ルワンダ、その他多くの地域でも。
彼女は訪問しました、戦争で被害を受けた地域を、そして困っている人々を助けました。
「小さな巨人」は亡くなりました、2019年に、92歳で。
彼女は言いました、
「関係ありません、文化、宗教、信条が同じでないことは。
大切なことは、困っている人々の命を救うことです。」
エンディング 森崎ウィンさんのトーク
皆さん、いかがでしたか。
さて、今日はですね、リスナーの皆さんからいただいたお便りの中からひとつ、紹介させてください。
新潟県の方からですね。
「中学校の英語教師をしていますが、Enjoy Simple English で知ったことを、生徒に指導することもあります。中学生にとってもちょうどいい語彙レベルなので、重宝しています。」
たくさんのお便り、ありがとうございます。
See you tomorrow.


