NHKラジオ英語番組『エンジョイ・シンプル・イングリッシュ』
2026年5月27日(水)放送分
世界の偉人伝
『Harriet Tubman』
ハリエット・タブマン
全文和訳してみました。直訳と意訳の間ぐらいで訳しています。
森崎ウィンさんのオープニングとエンディングトークも、書き起こししています。
お役に立てれば幸いです。
テキストには英文スクリプトのみ掲載されています。
オープニング 森崎ウィンさんのトーク
Enjoy Simple English.
森崎ウィンです。
毎週水曜日は、2022年度に放送した「Heros and Giants、世界の偉人伝」です。
今日は、アメリカで奴隷解放に尽力した「Harriet Tubman」です。
ストーリーの中に出てくる、
“enslaved people” は「奴隷」という意味ですよ。
早速、聞いてみましょう
Harriet Tubman「ハリエット・タブマン」
「地下鉄道」という言葉を聞くと、何を思い浮かべますか?
もしかすると、かっこいい地下鉄でしょうか、大都市の地下を走る?
この物語の「地下鉄道」は、そのようなのものとは全く異なります。
それ(地下鉄道)はネットワークでした、秘密のルート、隠れ場所、そして奴隷の脱出を手助けする人々の(ネットワークでした)。
奴隷とは、他人に所有されていた人々のことです。
彼らはたいてい重労働をさせられていました、無給で。
1600年代初頭から1800年代初頭まで、アフリカから多くの人々がアメリカに連れてこられ、奴隷にされました。
当時、アメリカ南部では、法律で認められていました、一部の人々が他人を所有できると。
しかし北部では、それ(他人を所有すること)が認められていませんでした。
南部の奴隷たちは所有者からひどい扱いを受けていたので、彼らは逃げて北部へ行きたかったのです。
彼らは地下鉄道を利用しました、脱出するために。
このネットワークで活動していた人々は「案内人」と呼ばれていました。
最も有名な「案内人」の一人が、ハリエット・タブマンです。
これが彼女の物語です。
タブマンは生まれました、1820年頃メリーランド州で、奴隷の家庭に。
彼女の出生時の名前は、アラミンタ・ロスでした。
幼い頃から、タブマンは家事をして、父親の薪割りも手伝っていました。
彼女のオーナーたちは、彼女を殴りました、何度も。
1844年、彼女は結婚しました、ジョン・タブマンという男性と、そして名前をハリエットに改名しました、それは彼女の母親の名前でした。
5年後、タブマンは知りました、自分が別の家族に売られることを、そこで彼女は北へ逃げました。
彼女はついに自由になりました、でも、悲しくなりました、家族や友人たちがいなくなり。
タブマンは彼ら(家族や友人)の脱出を手伝いたくて、地下鉄道の案内人になりました。
1860年までに、彼女は、70人以上をカナダへ逃がす手助けをしました。
それはとても危険な仕事でした。
もし誰かが見たら、彼女と彼女が助けている人々を、彼らは全員殺される可能性がありました。
タブマンは、その仕事がとても得意でした。
振り返って、彼女は言いました、
「私は地下鉄道の案内人でした、8年間、そして乗客を一人も失ったことはありませんでした。」
1860年代、アメリカ北部とアメリカ南部の間で戦争がありました。
タブマンは参加しました、看護師、料理人、そして北部側のスパイとして。
1863年、彼女は150人の兵士グループを率いて、奴隷所有者を襲撃しました。
この襲撃のおかげで、700人以上の奴隷が脱出できました。
晩年、タブマンは活動家として働きました、女性参政権のための。
また、施設も設立しました、高齢者や貧しい人を支援するための。
タブマンは1913年に亡くなりました。
90歳を超えていました。
生涯のほとんどの間、タブマンは尽力しました、人々がより良く生活できるように。
彼女は言いました。
「いつも覚えておいてください(決して忘れないでください)。
あなたの中にはあるのです、強さ・忍耐力・情熱が、世界を変えるための。」
エンディング 森崎ウィンさんのトーク
ハリエット・タブマンは、命がけで奴隷たちを救出したんですね。
それでは、See you tomorrow.


